動画っておもしろくね?
ゲームの内容もキャラクターもほとんど知らないけど、「アイドルマスター」のMAD動画がこれだけ盛り上がってる理由が分かった気がした。だって、何の予備知識がなくたって、動画の持つとんでもない求心力に引き込まれてしまうんだもん。一旦観たら忘れられないし、何度だってリフレインしてしまう。タイトルが表示された瞬間に、オレらは既にPVの世界に飲み込まれているのだから。
音楽の爽快感と演出の気持ちよさとピッタリ合った音同期、そして華やかなコメントアート。それぞれの要素が有機的に流動的に組み合わさりながら、自然には起こりえない高揚感を作り出す。言ってみればクオリティのインフレ。著作権どうこうっていう制約がゆるいニコニコ動画だからこそ、こういういいトコどりみたいな動画が生まれるんだろうな。オレはただ画面のこちら側で息を呑んで感嘆することしかできないけれど、久々に動画の持っているポテンシャルってものを思い出した。
初音ミクの「ハジメテノオト」とか「Packaged」とかを聞いたときにも思ったことだけど、ニコニコの本当に面白いところは、こういうクリエイティビティの相乗効果みたいな部分にある気がする。普段から動画を観まくっているニコニコ民なら、そんなこと言うまでもなく肌で感じていそうだけど。
小中学校の「総合的学習」はどうしてあんなにも創造的じゃなかったのか
小中学校の「総合的な学習の時間」に文科省が子供にやらせたかったことを、今になってやっと理解した。教科書の内容を教えるだけではどうしても習得させることのできない能力、例えば自己アピール能力とか論理的思考力とか、そういったものを身に着けさせたかったんだろうな。「自分で考える力をつける」なんてお題目は昔から何度も耳にしていたけど、その言わんとすることを本当に理解したのはごく最近の話だ。
その高尚な目的を理解できなかった当時のオレは、与えられたテーマに興味を持つこともできず、ギリギリになってから取ってつけたような筋道と結論を用意して発表していたように思う。同じグループの人間も、そこまで精力的に授業に取り組んでいたわけじゃなかったから、出来上がるものもやっぱりそれなりで、取り立てておもしろい内容もなかった。もし当時の自分が、今と同じくらいの能力とモチベーションを持っていたならば、発表会は全く別のものになっていたのかもしれない。
まだ小さい頃からプレゼンを経験させて、将来国際競争に耐えうるだけの人材を作りたいって言う考えは十分理解できる。ただ、小学生や中学生にそれをやらせて、目的に適うだけの成果を発揮できる生徒がどれだけいるのかはちょっと疑問だ。どうせやらせるなら、「社会福祉」とか「戦争の是非」とかいう小難しいテーマではなくて、子供でも興味が持てるジャンルで考えさせてみるべきだったと思う。たとえば、グループごとに新しいビデオゲームの内容を考えて発表するとか。もちろん、そういうことをやってる学校も最近はあるんだろうけど。
つまり言いたいことは:
今「総合の時間」を惰性に過ごしている多数の生徒が、自分から進んで発表するぐらいのモチベーションを持つことができたなら、ゆとり教育の様相も全く変わってくるんじゃないかということ。プレゼンの意義を小学生や中学生に教えるのは非常に難しいことだとは思う。でも、分厚い数学の冊子*1を楽しそうに眺める小学生の妹の様子を見る限りでは、昨今の子供達の能力が低下しているってことはないように思える。ゆとり世代もそう捨てたもんじゃないなんて、楽観的すぎるだろうか?