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FLYING

〈全日本・紀文豆乳飲料シリーズ「麦芽コーヒー」の500ミリリットルパックを扱う小売店が少ないことに遺憾の意を表明する会〉活動記録

マジカルミライ武道館〜里帰りしてみた感想〜

挨拶

だいたい初音ミクのことは知っている人が多いと思うんですが,初音ミクの「ライブ」があることはご存じですか?どういうものかというと,スクリーンに初音ミクやそのお友達の鏡音さんや巡音さんたちの映像を投影しながら,生バンドによりCGM*1文化の中で培われてきた楽曲の数々を演奏し,オタクはそのステージに対して熱狂する――という感じのものです。

わたしは最近でこそラブライブ!のハナシばかりしていますけれども,元々ボカロ曲をよく聞いていた時期がありました。今でこそ抵抗なくクラブ系のイベントにも行きますが,そういったイベントに参加するようになったキッカケもまたボカロでした。2009年のミクFES(ボカロPが新木場COASTでDJやライブをするというイベント)をニコ生で観覧したのが最初で,その年の年末に渋谷クワトロのクラブイベントに初めて客として参加して,それ以降「V_N」という比較的小規模なボカロPによるクラブイベントに通ったりとか,2011年のミクパに参加したりとかしていました。ボカロ関連のそこそこの規模のイベントだと,いちばん最後に参加したのは2013年にベルサール秋葉原で開催された「夏祭初音鑑」じゃないかと思います。それ以降どのあたりのジャンルに居たかはこの記事この記事を読んでいただくとして。

この記事では,ボカロ厨から声優オタクを経由した結果,改めてボカロのライブというものがどういう風に見えたのか?ということを先日のマジカルミライ公演に参加した経験を踏まえ書きたいと思います。

先入観

やっぱりボカロのライブってメインは映像として投影されたキャラクターだと思うんです。生バンドが居るっていうことは大事な要素ではあるけれども,バンドだけだったらそのバンドやシンガーがメインのカバーコンサートということになってしまいますから,ボカロのライブがボカロのライブであるために唯一必要な要素が,ど真ん中にあるあの透過スクリーンだと思うんですね。だから客は他の誰でもなく初音ミク鏡音リン・レン巡音ルカに向かってサイリウムを振るワケです。

そうした風景を俯瞰したときに,覚えてしまう違和感って誰でもゼロにはならないと思います。要はどれだけその空気に飲まれることができるか,自分を洗脳していけるか,ということが大事なのであって。特にわたしの場合,今いちばん追いかけているコンテンツでいったらラブライブ!やそのキャストさんということになりますから,「映像に向かってサイリウムを振ってもねー」みたいな先入観は正直に言うとありました。また,ボカロコンテンツを追いかけることをやめてからしばらく時間が経っていることもあり,たぶん知らない曲ばっかりなんだろうな,という気持ちもありました。

ライブ後の様子

これに関しては,ライブ当日のツイートを引用したほうが臨場感が伝わると思いますので,そのまま載せます。


だいたい自分と同じような境遇のYasuさんという方と一緒に参加したんですが,途中から感極まるポイントが完全に同じで,傍から見たらだいぶ気持ち悪かったと思います。

セトリに関してはこちらの記事を見て欲しいんですが*2,前半は知らない曲が多かったのでたぶん最近のDIVAとかの曲なんでしょう。問題は後半です。「エンヴィキャットウォーク」のあたりからもう刺さる曲しか無い。賑やかな曲ばかりかと思ったら「glow」とか入るしね,もう楽しいし感情を揺さぶられますよね。セトリの力で完全にマインドをコントロールされたオタクが最終的にどうなってしまったのか――それは上のツイートを読めば分かるとおりです。

今後どんな音楽を聞こうが,どんなライブに行こうが,わたしにとっておそらく変わらないであろうことがひとつあります。それは,18〜22歳くらいの時期に聞いたボカロ曲が完全にコンテキストとして自身の脳裏に刷り込まれているということで,そのあたりの曲を大音量で聞いたらどうやったって高まってしまうということです。日本武道館という場所で,「ODDS&ENDS」や「ハジメテノオト」を聞いたらこみ上げてしまうものがどうしようもなくある。

ボカロが歌うことの意味

これは先ほど紹介したYasuさんの受け売りなんですが,「Hand in Hand」という曲を初音ミクが歌うことに意味があるのだと。


誰かと誰かが手を繋ぐことの意味を,人類ではなくVOCALOIDが歌うからこそ,変に説教くさくならないまま説得力を宿らせることができる。それってなんだかSFですよね。

「ハジメテノオト」にせよ「ODDS&ENDS」にせよ「Innocence」にせよ,それまでボカロが歌うテーマソングはどうしても自己言及的なものにならざるを得ませんでした。ボカロという存在が単に目新しかったから,という部分もありますし,ボカロを取り囲むファン層やアンチ層の意見がそういった曲を生み出した,という部分もありました。だからこそ,人間と同じように単に女の子の心情を歌わせてもいいんだ,という今となっては当たり前の気付きを与えた「メルト」は衝撃的でした。

「Hand in Hand」は,そんなボカロが人類とは別の立場から人と人の関係について言及する曲だと思います。そして他でもない「Hand in Hand」が今回のマジカルミライのテーマソングであることに,何かしらのメッセージ性を感じずにはいられませんでした。

広がる世界

一方で,わたしみたいな人間が「ライブが楽しかった」という感想を述べたとして,それだけでいいのか?という疑問もあります。最近の曲を知らない人間が楽しめたということは,それだけ古い曲が多かったということでもありますし,古い曲がライブの後半に集中しているのは,コンテンツの 新陳代謝という観点から言うと不健全なようにも思われます。ライブ前に今回のマジカルミライのコンピレーション盤を見たときにまず感じたのも,「知っているPの曲が多すぎる」ということでした。

果たして最近のボカロファンの方々はあのセトリに満足できたのでしょうか?ボカロが歌うヒット曲は今も次々生まれてきているのでしょうか?コンテンツが継続していくためには,ある意味では古参を切り捨てるようなアップデートをすることも大事なんじゃないか,と思ったりもします。

視点を変えると,以前ボカロPとして楽曲を制作していた方が,アニソン業界その他で活躍されている状況があります。「メルト」のryo氏はアニソンアーティストへの楽曲提供をしていたり,生身のボーカリストと共にユニットとして活動していたりします。「Packaged」のkz(livetune)氏も同様に,ClariS他への楽曲提供をしていたり,海外のEDMアーティストのZeddとコラボしていたりします。他にもゆうゆさんによる「花雪」,Junkyさんによる「とまどい→レシピ」,ふわりPによる「せーのっ」,Honeyworksさんによる「世界は恋に落ちている」など。楽曲提供としてボカロPが数多く参加する「Tokyo 7th シスターズ」「ひなビタ」などのプロジェクトも増えてきました。

この視点においては,ボカロから始まった世界は確実に広がっている,という言い方も出来なくはないでしょう。

また,わたしが改めてマジカルミライの武道館公演に参加して感じたのは,ライブ慣れしていないお客さんが多いということでした。ライブ慣れしている人間にとってはむず痒い空気かもしれませんが,これはスゴイことでもあります。マジカルミライというイベントが,もともとライブに行かなかった層の人間を武道館規模で集めているということですから。

それだけ人を集めることの出来るコンテンツがオワコン」ということは少なくとも無いんじゃないかと思っています。わたしからは以上です。

*1:Consumer Generated Media。消費者が内容を生成していくメディアのこと

*2:セトリは全公演同じでした。まあ映像や音楽の準備があるから仕組み上しかたがないよね