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〈全日本・紀文豆乳飲料シリーズ「麦芽コーヒー」の500ミリリットルパックを扱う小売店が少ないことに遺憾の意を表明する会〉活動記録

「ワイルズの闘病記」に寄せて

ワイルズの闘病記

ワイルズの闘病記

「頑張れ」という単語を使うことに対して抵抗感があります。

辛い状況にある人に対して使われる「頑張れ」という言葉は,余りにも一方的で,相手の事情を理解しようとしない投げ遣りな姿勢の表れに思えて仕方ないのです。人は自分以外の誰かの感覚や思考を完璧に理解することなんてできません。にも関わらず,まるで相手の辛さを理解したような振りをして,無責任に放たれる「頑張れ」という言葉が,私は嫌いです。ましてや,相手が既に精一杯頑張っている人であったなら。

だから,私は今を以てなお,ワイルズ君にどんな言葉を掛ければよいのか,あるいは掛ければよかったのか悩んだままでいます。もちろん,それは無責任な「頑張れ」なんて言葉ではなかったと思うのです。ただ,こうも思います。同じ「頑張れ」という言葉でも,その言葉を放つ人が違えば全く違う意味を持つのではないでしょうか。たとえば,辛い境遇にある人とずっと連れ添ってきた親友が放つ「頑張れ」という言葉には,赤の他人が放つ「頑張れ」とは異なる,たくさんの感情が含まれているように思われるのです。

(以上,前置き)

ワイルズの闘病記」は,ワイルズ君がいかに17年余りを生き延びたか,「頑張った」かという記録です。

予め言っておくと,この本の内容はワイルズ君が生前更新していたブログ「ワイルズの闘病記」を編集し直したものです。ですから,私のこの記事を通じてワイルズ君を知った方には,まずそのブログの方を閲覧していただけたらと思います。

さて,何故今私がワイルズ君の闘病記に関してこうやって記事を書いているかというと,とりもなおさず,ワイルズ君が私の高校の後輩だったからです。私が通っていた高校は「東京工業大学附属科学技術高等学校」(以下,東工大附属)という長ったらしい名前を持っているのですが,この高校のいち同好会である「コンピュータ愛好会」に,私は2年間所属しており,ワイルズ君は(在学当時)2つ下の後輩でした。

このコンピュータ愛好会がどのような同好会かというと,簡単に言ってしまえば,コンピュータの扱い方,とりわけプログラミングという作業に関する知識を深めようとするコミュニティでした。今現在,東工大附属にコンピュータ愛好会が存在するのか,また私の在学当時と同じ形で存在しているかどうかは残念ながら存じていないのですが*1,かつてのコンピュータ同好会はO先生という風変わりな先生の下,所属する会員同士でプログラミングコンテストに出場したり,IPA情報処理技術者試験を受験したりすることを主な活動としていました。ただ,愛好会の活動は不定期で,誰が会員なのかも明確に分かっていないという状況(笑)であり,実質,O先生と関わりのある生徒の溜まり場と化していたように思います。

私は在学当時,ワイルズ君の存在を知ってはいたものの,彼と深く関わったことはありませんでした(言葉を交わす程度の関わりがあったかどうか……という朧気な記憶があるのみです)。ワイルズ君が東工大附属に通っていたのは白血病が再々発する2009年2月以前までのことですから,彼と関わりがあったのは多くとも1年未満。おまけに最上級生と最下級生という歳の差を考えれば,私があまりワイルズ君と関わらなかったことも,残念ではありますが,多少は納得できるところです。

しかし,ワイルズ君からしてみれば,私の存在は決して「大勢いる先輩のうちのひとり」という程に小さいものではなかったらしいのです。ワイルズ君のお母様からお聞きしたところによれば,ひとつには「tondol君のことを尊敬していた」,あまつさえ「tondol君はひとつの目標だった」とのことで,(普段の私の言動,性格を知っている人からすれば)私はありえない程にワイルズ君に評価されていたようなのです。

そういう事情もあり,同じく私の2つ下の後輩でコンピュータ愛好会の会員であった @OpenPiyochan の紹介を経て,ワイルズ君のTwitterアカウント(@wiles4416)をフォローしたのが彼の亡くなる数ヶ月前のことだったと思います。彼とのコミュニケーション(リプライやふぁぼり・ふぁぼられを含む)は決して多くはありませんでしたが,お互いの存在を認知していたことは間違えようのない事実だと思います。そして,彼が永眠したとの連絡を受けたのがちょうど去年の8月始めでした。

それからまもなく,ワイルズ君のお母様とのやりとりが始まりました。きっかけは,彼の遺書でした。そこには「私の高校時代の友人なら恐らく見つけてくれるであろう形で,この遺書とは別の場所に意思を遺した」(意訳)との文章がありました。「高校時代の友人なら恐らく見つけてくれるであろう」という表現から察するに,恐らくそれはコンピュータの何処かにデジタルな記録として遺されているのだろうと辺りを付け,私はその「もうひとつの意思」を発掘するため,ワイルズ君の自宅に向かったのでした(驚くべきことに,彼の自宅は私の自宅から自転車で数分の距離の場所にありました)。

結果から言うと,私を含め様々な人がその痕跡を必死で探したにも関わらず,彼の遺した「もうひとつの意思」は未だ以て見つかっていません。しかし,私たちはまだ「もうひとつの意思」の発掘を諦めたわけではありません。それが誰の手によって行われるのかはわかりませんが,必ず近いうちにワイルズ君の秘密は解かれるだろうと私たちは信じています。

ともかく,そうしたやりとりを経て,私は彼や彼のお母様と関わりを持ちました。「もうひとつの意思」を探す作業の前後には,彼が生前欲しがっていた「figma 初音ミク」を私がプレゼントする,なんてこともありました。そして,この度「ワイルズの闘病記」をご献本いただき,こうして感想のようなものを記しているという訳です。私とワイルズ君のお母様の間の繋がりは,紛れもなく,ワイルズ君が遺した決して小さくないモノのうちのひとつだと言えるでしょう。

(以上,馴れ初め)

感想という程ではないですが,闘病記を読んで思ったことを記したいと思います。

この闘病記を1ページでも読めば分かると思いますが,そこに記されているのは,まさしく等身大のワイルズ君が闘病中に考えたことであり,感じたことです。その他大勢と同じく,私は「闘病記」というものに対して病状に関する報告と,生あるいは死に対する想いが淡々と書き連ねてあるモノ,なんてイメージを持っていましたが(そのイメージもある側面では正しいのですが),ワイルズ君の闘病記は,そんな固定概念を気持ちよく吹き飛ばしてくれます。彼の闘病記には漫画の台詞を改変した文章や,現代の若者が慣れ親しんでいるインターネットスラングが頻繁に登場します。それはまさしく,漫画とアニメとインターネットに囲まれて育った平成世代のリアリティであり,ワイルズ君の等身大の人格そのものです。

と,同時に感じるのは,インターネット時代の死の形はどんな方向に変化するのだろうか?ということです。ワイルズ君は闘病記の中で繰り返し「平等」なんてものは存在しないと記しています。しかし,ワイルズ君も私も例外ではないように,「いずれ死ぬ」という原理だけは,すべての人にとって不可避であり平等です。ですから恐らく,ワイルズ君の闘病記を読んで誰もが考えるのは,自分が死ぬときのことではないかと思います。たとえば,自分が死ぬとき,そばに誰が居るかということ。たとえば,自分が死ぬとき,何処に居るかということ。あるいは,自分が死んだという事実が,どのようにして知り合いに伝わっていくか,ということかもしれません。

インターネットによって得られる人との繋がりなんて,実際の世界での繋がりに比べれば微々たるものだと思う人も居るかもしれません。しかしながら,私はそうは思いません。今の時代,名前も顔も知らない人の呟きに一喜一憂する,なんて経験を誰もが少なからずしていると思いますし,インターネットがきっかけで親しい関係になるケースだって世の中には数え切れないほどあります(私とワイルズ君のケースが,ある意味ではそうだったと言えるかもしれません)。ですから,私は私の死について考えるとき,どうしても「アナログ(≒現実)」の世界だけでなく,「デジタル(≒ネット)」の世界のことを考えてしまうのです。

ワイルズ君の場合は,そのモデルケースとも言えます。たとえば,彼が生前記していたブログ「ワイルズの闘病記」は,ワイルズ君の死後もご両親の手で更新が続けられています。また,ワイルズ君が生前使っていたTwitterのアカウント(@wiles4416)をモジって,彼のお母様が @miles0801 というアカウントで日々感じたことを呟いておられます。今となっては些細なことですが,ワイルズ君が「なる四時」というTwitter連携サービスに登録していたため,彼の死後も「なるほど四時じゃねーの」という呟きが投稿された,なんてハプニングもありました。ワイルズ君の死後,彼が利用していたウェブサービスのアカウントが適切に管理されているのは,彼がそういったアカウントの取り扱いに関して賢明だったこともありますし,彼のご両親がコンピュータの扱いに関して意欲的だったことが大きく影響しているように思います。

今後,ワイルズ君と同じように,ウェブサービスを日常的に利用していた人が亡くなり,ご遺族の方が遺されたアカウントの扱いに困惑する,というケースがどんどん出てくると思うのですが,そうしたときに,ワイルズ君のご両親の取り組みは,非常に参考になるものではないかと思います。

さてもうひとつ,ワイルズ君の存在が私に何をもたらしたのか,ということを考えてみようと思います。亡くなったワイルズ君の分も,素晴らしい人間になれるようこれから私は生きていく……なんてまともなコメントはとても私にはできないので,率直に記します。

まず,ワイルズ君と私は違います。私が志を新たに胸を張って生きたところで,彼の代わりになれるはずがありません。だから相変わらず,私は平凡な私であり続けるでしょう。しかし,ワイルズ君がこんな私のことを尊敬してくれたのであれば,私は私が思う「なりたい自分」を目指そうと思うのです。そして,私が許せないような私にはなりたくないと思うのです。それが,ワイルズ君が尊敬した私(の幻影?)に対する責任の取り方だと考えています。

次に,私はワイルズ君が遺してくれたモノを,良い意味で最大限に利用しようと思うのです。それは自分を奮い起こすために彼のブログを読み返すことかもしれないし,高校時代の後輩との繋がりを大事にすることかもしれないし,ワイルズ君のお母様とのコミュニケーションを続けていくことかもしれません。そうやって私は生きていこうと思うし,ワイルズ君のことを記憶に留めたいと思います。そうすることが,たぶん彼が望んでいるモノに一番近いんじゃないか,なんて今のところは考えています。

最後になりますが。

今年の8月1日は,ワイルズ君の1周忌に当たります。私の拙い文章がどれだけ役に立てるのかは分かりませんが,この夏の最も暑い時期に,蝉の声を聴きながら,どうか皆さんに最後まで「頑張った」彼のことを思い出していただければ幸いです。

私もその頃に彼の自宅へ遊びに行きたいと思います。改めて「頑張ったね」という言葉を掛けるために。

*1:ツッコミをいただきました。今も存在しているらしいです