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新ボカロが出ましたが

VOCALOID』と『ボカロ』

クリプトンが「初音ミク」を発売したその瞬間に,VOCALOIDという製品郡は単なるDTMソフトウェアとしてではなく,『ボカロ』というキャラクター郡として消費されることが決定付けられたのだと思う。その発端が「KAITO」や「MEIKO」ではなくミクだったのは,(もはや言うまでもないことだけど)VOCALOIDというソフトウェアと萌えイラストによるビジュアルが結び付けられた始めての製品初音ミクだったからだ。

初音ミクの成功によって,DTMソフトウェアとキャラクターを結び付けるというコンセプトが商業的に正しかったことが明らかになった。以後,クリプトンは第2第3の初音ミクを生み出すべく,キャラクター性を重視したVOCALOIDシリーズの展開を続け,インターネット社から発売されたVOCALOIDシリーズにおいても同様の方針が受け継がれることとなった。

”第三勢力”が目指すもの

翻って,今回”第三勢力”ことAH-Softwareから発売されることが決定した「SF-A2開発コードmiki」を始めとする3つの製品について考えてみたい。

mikiが本家ボカロから『イマドキ』のキャラクター性を受け継いだ一方で,「ボカロ小学生」と「ボカロ先生」については,具体的なキャラクター性よりも『小学生』や『先生』という一般的な属性に焦点が置かれている。申し訳程度にボカロの文法に則ったフルネーム*1も与えられているものの,キャラクター性よりも属性が強調されているという事実に変わりはない。

これは本家ボカロからの明らかな方針展開であり,AH-Software『新しいVOCALOIDをこれまでのボカロとは異なる方向で売りたい』という意思の表れではないだろうか。

個人的な推測を述べるならば,AH-Softwareはボカロ小学生とボカロ先生の発売を通して,『初音ミクに歌わせたいから初音ミクに合った曲を作る』というようなキャラクタードリブンな制作スタイルに代わり,『子供の声を使いたいからボカロ小学生に歌わせる』というような楽曲ドリブンな制作スタイルを提案しているように思われるのだ。

制作スタイルの変化というよりは,回帰といったほうが正しいかもしれない。それは,KAITOMEIKOの頃にクリプトン社が期待していたVOCALOIDシリーズの使い方そのものであり,本来VOCALOIDシリーズが担うべきだった役割であるとも言える。

もちろん,すべてのボカロ曲がキャラクタードリブンな制作スタイルのもとで生まれたというわけではないし,中にはVOCALOIDを『単なる楽器』として用いた楽曲も少なからず存在する。しかし,ボカロ界隈を俯瞰したときに,その潮流の中心がボカロのキャラクター性を軸とした楽曲郡にある*2ことは,もはや疑いのない事実ではないだろうか。

ボカロ小学生とボカロ先生は,言わばキャラクター指向に傾倒していった初音ミク以降のボカロ文化に対する売り手側からのカウンターである。果たして,ボカロ小学生とボカロ先生はボカロ文化のバランサーになり得るだろうか?

とは言ったものの

ユーザーによるキャラクター価値の積極的な創造が行われない限り,ボカロ小学生とボカロ先生は売れないんじゃないかと思いました。

*1:「歌愛(かあい)ユキ」と「氷山(ひやま)キヨテル」

*2:知名度で「みくみくにしてあげる」や「メルト」を超える曲が未だにないし