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FLYING

〈全日本・紀文豆乳飲料シリーズ「麦芽コーヒー」の500ミリリットルパックを扱う小売店が少ないことに遺憾の意を表明する会〉活動記録

評価したい、されたい話

ネットって凄い。そこらじゅうに「これはすごい」が溢れているし、そこらじゅうに「これはすごい」を生み出す人がいる。プログラミング大会で知り合った人たちがウェブサービスを発表して一躍有名になっているのを見て、本当にそう思った。無論、有名っていったってネットのごく一部でしかないし、知っている人も全人口に対してみたらほんの僅かなのかもしれない。それでもオレからしたら遥かな雲の上だ。手が届きそうな気がしない。

「遥かな雲の上」って書いたけど、もしかしたら、意外と雲の上は低い場所にあるのかもしれないとも思う。単純に自分の身近な人がそこに行ったから、という理由もあるけど、雲の上に行けない人と雲の上にいる人を隔てるものは、実は「やるかやらないか」という単純な違いに集約されるんじゃないか、という思いがあるからだ。

そのウェブサービスを作った3人は、オレが参加した大会でも進んで人に話しかけていたし(オレが彼ら*1と知り合えたのも、彼らがコミュニケーションに長けていたからだ)、そうして知り合った人々に自らのアイデアを披露して、一緒にウェブサービスを作ろうという提案を持ちかけていた。他人に顔見知りして、ろくに話もできなかったオレとはだいぶ違う。そして彼らは、そのアイデアを机上の空論で終わらせなかった。たとえ地理的な制約があろうとも、ネットという道具を有効に活用し、アイデアを形にすることを諦めなかった。むしろ、その制約を開発のモチベーションに変換していたようにさえ思える。

絶望から嫉妬へ

ネットはあらゆる障壁を取り払った。情報を発信する人間も、受信する人間も、今やその間にある距離を気にしようともしない。今まで埋もれていた才能が発掘されるようになったし、どんな人間でも、身分を気にせずに匿名で主張ができるようになった。昔は自分の足を動かさなければ手に入れられなかった色んなものが、机の前を動かさずして閲覧できるようになった。そしておそらく、年齢の違いさえも問題にはならない。身分ではなく、やったことで評価されるようになる時代が来た。今や陳腐化してしまったWeb 2.0というキーワードが表していたのはたぶんそういうことだ。

でも、それは小さなコミュニティの中でふんぞり返っていた人間にとっては不幸だったかもしれない。今では学校の中で一番になってもそんなに自慢にはならない。ネットを見ればもっと凄い人がいくらでもいるからだ。上を見れば際限がない。いくら自分が進歩しても、まだまだ雲の上には手が届かない気がしてしまう。小さな絶望。これからの自分の人生が、このまま何も起こらずに終わってしまうのではないかという恐怖。

その絶望や恐怖が嫉妬に変わってきたのは最近かもしれない。「嫉妬」という感情は決して綺麗な表現じゃないと思うけど、絶望しているよりはマシなように思える。嫉妬するということは、諦めているわけじゃない。「オレにだって」という気持ちが少しでもあるわけだから。「うらやましい」とも違う。「うらやましい」という言葉だけでは表せない何かがあるのだ。オレもそこへ行きたいという、向上心のようなものが。つまり、「クオリティの高さに絶望」するよりは「作者の人気に嫉妬」した方が、ちょっとだけ前向きな気がするのだ。

もっと評価したい!

いずれにせよ変わらないことがある。それは、みんなが素敵って思ったものは評価されるだろうし、ユーザーはいつだって自分をわくわくさせてくれるような何かを探しているということ。そういう何かがたくさん見つかるようにインターネットは進化してきたし、きっとこれからも進化していくだろう。もちろん、いいものがたくさん生まれるためには、ユーザーの評価が何らかの形で作り手に伝わらないといけない。そうやって生まれたのが、「はてなスター」を始めとした色々な仕組みなんだと思う。

何か素敵なものを見つけたら、その作者に何らかの形で「ありがとう」を伝えたいと考える。それがまだ有名になっていないものならば、「もっと評価されるべき」というタグを付け加えてもいいし、コメントするのが躊躇われるならば、はてなスターをぽちっとクリックしてもいい。喩えるならば、小さな芽に水をあげるようなものだ。そしてできることなら、その芽が綺麗な花を咲かすまで見守っていたい。

まだまだ零れ落ちてしまう作品はあるだろうけれど、「もっと評価する」ための環境は確実に整ってきた。だから、ユーザーとしては積極的に評価をしてあげたいと思う。素敵だと思ったものには惜しみないはてなスターを。後で読みたいと思ったら軽い気持ちでブックマークを。そうやって評価が即座に作り手に伝わるようになれば、世界はもっとクリエイティブになれるはずだ。

もっと評価されたい!

この一言を書きたいがためにずいぶん引っ張ってきたけど、もう隠さない。オレはもっと評価されたい。たくさんのはてなスターとかブックマーク数とか、そういうものに憧れていたのは紛れもない事実だし、人気エントリの一覧を目にするたびに感じた思いの正体はたぶん、評価されたいという願望に違いないから。でも忘れちゃいけないのは、何もないところから評価が沸いてくるわけじゃなくて、まず誰かが素敵だって思うようなコンテンツがあって、それを評価したいと思った人がいたということ。

「ただ作るのが楽しいから」という理由でどんどん作っては発表して、そうしていたらいつの間にか評価されてました!みたいなのが本当は一番カッコいいと思う。でも、オレはそんなにカッコよくはなれない。やっぱり評価されたいという気持ちは捨てきれないし、評価されたいから何か素敵なものを作りたいという本末転倒な考えになってしまったりもする。作ることがおもしろくないわけじゃもちろんないけど、「下心あるでしょ?」って聞かれたら、やっぱり頷いてしまう。

でも、それって本当に悪いことなんだろうか。頑張って作ったものには何らかのフィードバックが欲しいと思うのは当然のこと。ならば、それを一歩進めて、フィードバックが欲しいから頑張って作ってみる、という考えもアリなんじゃないか。もちろん、何も作っていないのに評価だけを求めるのは間違っているだろうけれど。

とりあえずできることを

結局、評価されたいという気持ちがあろうがなかろうが、やることは変わらない。自分が好きなものを作ること、好きなものを作るために必要なスキルを身につけること、そして、アイデアの元になりそうなものをどんどん吸収すること。たとえば本を読んだり、技術系のサイトを読んだり、自分の作りたいものに近いモデルを探してみたり。やるかやらないかで言うなら、やるべきなのだ。

「だったらこんなエントリを書いてないで、さっさと上に書いたようなことをすればいいじゃん!」って言われそうだけど、そこがオレの中途半端なところで、Winsockについて調べていたのに、いつの間にかニコニコ動画を見ているような謎現象が起こる所以でもある。ただ、ニコニコと言っても暇つぶしやクオリティの無駄遣いだけではなくて、「ニコニコ動画講座」みたいな勉強になる動画も少なからずあるから侮れない(個人的には「ニコニコ動画講座」もお勧めだけど、それはまた別の話だ)。

重要なのは「やることを躊躇わない」ことだと思う。勉強とかそういうことだけじゃなくて、たとえば知らない人とも進んで話をしてみるとか、積極的に勉強会のようなイベントに出かけてみるとか。もう、非コミュという言葉を隠れ蓑にして、嫌なことから目を逸らし続けるわけにはいかない。人と人の繋がりが小さな革命を起こす、そういう事例を間近で見てしまったわけだから。

*1:「彼ら」って偉そうだなぁと思いつつ、他にいい表現が思いつかない