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〈全日本・紀文豆乳飲料シリーズ「麦芽コーヒー」の500ミリリットルパックを扱う小売店が少ないことに遺憾の意を表明する会〉活動記録

「表現」を擬人化してみるハナシ

『表現は《出たがっている》』という表現にアンテナがピーンと立った。たとえ書いた当人が大した意味を持たせたわけでなくとも、一度表現されたものは本能的に外に出たがるのだという。彼らはインターネットを駆け巡り、世界を駆動させようと欲している。場末のブログに投稿された誰も見ていない日記エントリであっても、お絵かき掲示板に投稿されたへなちょこな線画であっても、もしくは便所の個室に描かれた落書きであっても。

じゃあ、果たしてその言葉や絵や音楽なりを生み出した当人は、表現が制作者に対して投げかける「期待」みたいなものに答えられているのだろうか? いや、別にその期待に答えられるような表現をしようなんて綺麗な結論で終わらせるつもりはないんだけども。情報の海に投げ出されたクオリアは、きっと書き手の意識には関係なく世界を漂いつづける。もしかしたら、書き手が死んでも、人類が滅びても、地球がなくなったって残っているのかもしれない。

そういう「循環しない表現」がある一方で、多数に受け入れられ、受け手によって再構成され、再び新たな情報として生まれ変わる「循環する表現」も存在する。果たして、僕らが作り出す情報は循環するのか否か。ひとつ分かることは、情報が循環してくれた方が、書き手にとっても表現にとっても嬉しいことなんだろうな、ってこと。