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ある工業高校のカリキュラムをまとめる

高専での情報工学のカリキュラムについて書かれた記事が話題なので,自身の母校である工業高校の(情報分野の)カリキュラムについてまとめてみようと思います。ここで言う工業高校は「東京工業大学附属科学技術高等学校」(以下,「附属高校」とする)です。附属高校在学時の3年間をベースにカリキュラムや体験したアレコレを紹介します。

これは,2006年〜2009年に在学していた私が2013年に自身の記憶・記録を元に書いているものなので,現在のカリキュラムや制度と異なる内容が含まれている可能性があります。ご了承の上お読みください。

附属高校とは

まず,附属高校自体があまり有名ではないと思うので簡単に説明すると,東工大に附属する国内唯一の国立工業高校です。JR田町駅の芝浦口を降りてすぐそばに校舎があるため,山手線や京浜東北線の乗車中に看板を目にすることもあると思います。
工業高校なので,卒業まではストレートに行けば3年間,カリキュラムは工業に関する科目が中心となります。附属高校以外の工業高校については事情を知らないのですが,少なくとも附属高校では,卒業生は理系大学に進学するケースがほとんどであり,大学受験のために一般教養に相当する科目(現代文・古典・世界史等)の授業もそれなりに受けました*1。また,一般高校で受けるような「家庭科」「美術・音楽」「体育」などの科目も普通にありました*2
カリキュラムは1年次と2年次以降で別れており,2年次以降は5つある「分野」のいずれかに所属し,分野専門の授業を中心に受講することになります。分野は大雑把に言うと「応用化学」「機械」「情報」「電気電子」「建築」の5つで,私は情報分野*3に所属していました。
附属高校の生徒全員が東工大に進学できるわけではありませんが,3年次までにそれなりの成績(学年で1〜50位)を収めていれば,3日間を通じて行われる大学側主催の特別推薦選考会*4に参加することができ,そこで東工大の教授の目に留まった約10人がエスカレーターで東工大に入学できる制度(高大連携特別選抜)があります。

1年次のカリキュラム

専門科目としては以下のものがありました。下記のどの科目においても,基本的にテキストは高校オリジナルのものを使います。

科学技術基礎

2年次以降の分野所属を見据え,各分野の専門科目の「さわり」を体験する科目です。1年間を掛けて5分野の導入的な内容を学びます。
課題の例としてはたとえば……

  • 応用科学分野:中和滴定の実験
  • 機械分野:往復スライダクランク機構の模型を制作
  • 電気電子分野:ダイオードによる全波整流回路の実験
  • 建築分野:製図器による作図・相貫体模型を制作
情報技術基礎

多くの大学で行われているであろう「コンピュータ・リテラシー」に相当する科目です。ただし,使用するパソコンのOSがVine Linuxだったりするあたりが少し独特です(ここ数年はUbuntuを使っているとのこと)。内容的にはHTMLでのコーディングを学んだり,C言語の簡単な課題を順番に解いたりします。
課題の例としてはたとえば……

  • Hello, World
  • 半径を入力して球の体積を表示するプログラム
  • 二次方程式をプログラムで解く
  • 配列のソート
数理基礎

通常の高校数学と並行して数理基礎という科目を受講します。専門科目で使う数学を天下り的にインストールするための科目なので,いきなり三角関数や常用対数複素数などをバリバリ使います。

人と技術

技術者倫理の科目です。個人的にあまり思い入れはないので省略。

2年次のカリキュラム

2年次以降は,分野ごとの専門科目を受けることになります。やはりテキストはすべてオリジナルでした。今思うと,プログラミングなんかは普通に市販のテキストを使ったほうがいいのでは……という気はします。
以下は私が所属していた情報分野における専門科目の説明になります。

科学技術

週に3〜4コマを使って実験し,翌週までにレポート提出。これを延々と繰り返す科目です。現役当時は毎週提出日の前日に徹夜していた気がします。
課題の例としてはたとえば……

  • RLC直列回路の実験
  • トランジスタの静特性を調べる
  • ライントレーサーの制作
  • xlibでGUIプログラミング

個人的には,ライントレーサーの制作が毎日居残りして取り組む程度には楽しかったです。いきなりライントレーサーの回路を設計するほどの知識は2年次の生徒にはないので,たたき台として与えられた回路をもとに,PICのプログラミングをして,独自に工夫したライントレーサーを制作しようという課題でした。

ハードウェア技術

オームの法則キルヒホッフの法則に始まる電気回路の基礎を学び,最終的には抵抗・コイル・コンデンサトランジスタを使った簡単な増幅回路の設計を目指します。ハードウェアなだけにハードで,挫折した同期が多かったような気がします。
課題の例としてはたとえば……

ひとりじゃなかなか達成できない感じの課題が出されるので,クラス内で相談して悩んでボーダーをクリアする,RPG感覚の楽しさがありました。当時はクラス用のWikiを開設し,授業ノート的なものを投稿するなどしていました。

プログラミング技術

1年次の情報技術基礎をグレードアップした内容で,より高度なプログラミングの問題をC言語で解いていきます。情報技術基礎がC言語を書けるようにするための科目,プログラミング技術がC言語を実用するための科目,と言った感じです。
課題の例としてはたとえば……

3年次のカリキュラム

2年次から継続するハードウェア技術やプログラミング技術と並行して,下記の科目がありました。

ソフトウェア技術

プログラミング技術でカバーされなかった,Unixコマンドの使い方,パイプの仕組み,ネットワークプログラミングなどを扱う科目です。
課題の例としてはたとえば……

  • awkによるファイル処理
  • ls,grep,wc,tr,sedなどのコマンドの使い方
  • ネットワークプログラミング
課題研究

一応,附属高校が目玉にしているところの科目で,3年次にグループで課題を設定し,数ヶ月を掛けて研究・発表します。
課題の例としてはたとえば……

これに関しては,個人の開発能力だったり,マネジメント能力だったりが問われるので,内容面では大学でやるような卒業研究にはもちろん及ばないものの,経験としてはだいぶ役に立ったかなという気がします。

その他

3年次の3学期に,進路が決まった生徒向けに「数学さきがけ」という講義が開講されていて,そこで俗に「ピンク本」と呼ばれる600ページ以上ある謎の教科書を使いました。これは,当時の数学の先生が執筆したオリジナルのテキストで,大学で学ぶ数学・物理・化学の内容の一部を先取りして,高校生向けの噛み砕いた文体で解説したものです。
ピンク本の内容は,実際に大学に入ってしまえば(進度が早いので)1ヶ月程度で流されてしまう程度の分量ではあるのですが,その詳細かつ直感的な解説から感じられる教育への気迫に在学中は驚いたものでした。
もう1点,特殊なカリキュラムということで覚えているのが,3年次に受けた「数C・Lisp」という謎授業のことです。何故か密室でLispを学んだだけで数Cの単位がもらえました。

コンピュータ愛好会

本筋とは外れるんですが,自分語りをするなら外せないんで書きます。
2年次に,当時のハードウェアの先生が顧問をしているコンピュータ愛好会という怪しげな愛好会に誘われまして,卒業するまでそこでガサゴソと活動していました。
活動の内容としては,下記のようなものがありました。

個人的には,ここで一緒に活動した先輩だったり,コンテスト出場の履歴だったりがその後の進学やら何やらに影響してきた気がするので,こういう場があったことは幸運でした。
情報工学を志す高校生であれば,この手の活動を経験しておいて損はないと思います。

学校の雰囲気

1年次はすべての分野の生徒が同じクラスになるので,多少は女子も居るし,そこまで普通高校と違うようには感じませんでした*5
ただ,2年次になって情報分野に所属すると,そこには「パソコン部」という単語でイメージするような類の(平たく言えばオタクっぽい)人間がたくさん居て,中二病をこじらせつつあった私には居心地がよかったです。それ故に,女子はクラスにひとりしか居ませんでしたし,一般的な高校生活を送りたい人には向かない雰囲気だと思いました*6
一方で,たとえば化学分野だと勉強熱心な進学校のような雰囲気があったり(特に受験期),建築分野は普通の高校に近い人種が生息していたりと,分野による空気の違いはかなりありました。
基本的に校則と言えるものはほとんどなく,制服もなければ行動範囲の制限もない,かなり自由な校風だったと思います。たとえば,教室にXBOX360を置いて放課後にプレイしている一団が居ましたが,特に没収されたりはしていませんでした。

高専との違いは?

ここまでのカリキュラムの例を見てもわかる通り,附属高校のカリキュラムは,基礎から座学で積み重ねる「体系的」なものと言うよりは,実験から入る「実際的」なものだったように思います。授業で使うテキストも,ほとんどが学校オリジナルのものだったので,授業内容にマッチしている反面,体系的に学ぶという点では市販のものの方が優れていると思います。
また,高専が5年間の課程であるのに対し,附属高校は3年間の課程です。なので,いかに工業に偏重しているとは言っても,3年間で高専と同等の知識が身に付くわけではありません。高校での3年間に加え,理系大学に進学して情報工学を数年学んでやっと,「実際的」な知識と「体系的」な知識を結び付けることができるのではないかと思います。

附属高校に行けば技術が身に付く?

元々工業系の科目に興味があって,「是非この分野に所属したい!」という思いがある人であれば,おそらく掛けた時間相応のリターンはあるのではないかと思います。それは,高専であろうと工業高校であろうと同じかもしれません。
逆に,とりあえず的に附属高校に入っても,カリキュラムが肌に合わなかったり,そこにいる人種が苦手だったりすると,不幸なまま3年間を終えることにもなりかねません。特に,附属高校に推薦入試で入学する生徒は,入試の段階で所属する分野を決めなければならない*7ので,なおさらリスクは高いと思われます。

こんな人にお薦めの附属高校

  • 普通の高校生活を送れる気がしない人(同類が比較的多いです)
  • あわよくば東工大に行きたい人(特別選抜が狙えます)
  • 工業系に進みたい人,分野がバッチリ決まってる人(たぶん高専でもOKです)

*1:世界史の授業ではインド史ばかり無駄に詳しく習ったので,普通ではなかったかもしれない

*2:音楽では右翼話で洗脳されたし,体育では無駄にたくさんのレポートを課されたりしたので,やっぱり普通ではなかったかもしれない

*3:正式名称は「情報・コンピュータサイエンス分野」

*4:サマー・チャレンジと呼ばれる

*5:「嘘だろ」という指摘が後輩から入ったので,あんまり普通ではなかったかもしれない

*6:実際,普通に高校生になりたかったという同級生の発言を何度か見聞きした

*7:一般受験生なら科学技術基礎をひと通り体験した後に決められる

年末になるとはてブランキング記事の影響で1月くらいの記事が再浮上したりしますね

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録

何かができるという状態に到達するにはどうしたらいいのか?というごく一般的な質問がある。
この質問に対する答えは「できるようになるまでできる未満のことを積み重ねる」以外にはおそらく存在しない。
個人個人の才能(センス)の有無は上達曲線の微分係数を決める程度のものでしかなくて,要するに「掛けた時間に比例して上達する」という言葉は真理なのだと思う。

勉強であったり,プログラミングであったり……何をするにしても,ぼくらができる未満のことに時間を費やすことに飽きてしまったとき,才能という言葉は便利に使われてしまう。
本当に必要なものが時間であることを頭では理解していたとしても,無意識のうちに別の要素にできない原因を求めてしまう。

ところで,時間を費やすことに飽きてしまわないことを才能と表現するひともいる。
「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものだし,好きがないからこそ何者にもなれないってことなのかもしれないね。
真剣に習得を求める人にとってはこれ以上ない救いの言葉であると同時に,そうでない人にとっては挫折を引き起こすのに充分すぎる言葉なんじゃないかなあと思った次第。

「ワイルズの闘病記」に寄せて

ワイルズの闘病記

ワイルズの闘病記

「頑張れ」という単語を使うことに対して抵抗感があります。

辛い状況にある人に対して使われる「頑張れ」という言葉は,余りにも一方的で,相手の事情を理解しようとしない投げ遣りな姿勢の表れに思えて仕方ないのです。人は自分以外の誰かの感覚や思考を完璧に理解することなんてできません。にも関わらず,まるで相手の辛さを理解したような振りをして,無責任に放たれる「頑張れ」という言葉が,私は嫌いです。ましてや,相手が既に精一杯頑張っている人であったなら。

だから,私は今を以てなお,ワイルズ君にどんな言葉を掛ければよいのか,あるいは掛ければよかったのか悩んだままでいます。もちろん,それは無責任な「頑張れ」なんて言葉ではなかったと思うのです。ただ,こうも思います。同じ「頑張れ」という言葉でも,その言葉を放つ人が違えば全く違う意味を持つのではないでしょうか。たとえば,辛い境遇にある人とずっと連れ添ってきた親友が放つ「頑張れ」という言葉には,赤の他人が放つ「頑張れ」とは異なる,たくさんの感情が含まれているように思われるのです。

(以上,前置き)

ワイルズの闘病記」は,ワイルズ君がいかに17年余りを生き延びたか,「頑張った」かという記録です。

予め言っておくと,この本の内容はワイルズ君が生前更新していたブログ「ワイルズの闘病記」を編集し直したものです。ですから,私のこの記事を通じてワイルズ君を知った方には,まずそのブログの方を閲覧していただけたらと思います。

さて,何故今私がワイルズ君の闘病記に関してこうやって記事を書いているかというと,とりもなおさず,ワイルズ君が私の高校の後輩だったからです。私が通っていた高校は「東京工業大学附属科学技術高等学校」(以下,東工大附属)という長ったらしい名前を持っているのですが,この高校のいち同好会である「コンピュータ愛好会」に,私は2年間所属しており,ワイルズ君は(在学当時)2つ下の後輩でした。

このコンピュータ愛好会がどのような同好会かというと,簡単に言ってしまえば,コンピュータの扱い方,とりわけプログラミングという作業に関する知識を深めようとするコミュニティでした。今現在,東工大附属にコンピュータ愛好会が存在するのか,また私の在学当時と同じ形で存在しているかどうかは残念ながら存じていないのですが*1,かつてのコンピュータ同好会はO先生という風変わりな先生の下,所属する会員同士でプログラミングコンテストに出場したり,IPA情報処理技術者試験を受験したりすることを主な活動としていました。ただ,愛好会の活動は不定期で,誰が会員なのかも明確に分かっていないという状況(笑)であり,実質,O先生と関わりのある生徒の溜まり場と化していたように思います。

私は在学当時,ワイルズ君の存在を知ってはいたものの,彼と深く関わったことはありませんでした(言葉を交わす程度の関わりがあったかどうか……という朧気な記憶があるのみです)。ワイルズ君が東工大附属に通っていたのは白血病が再々発する2009年2月以前までのことですから,彼と関わりがあったのは多くとも1年未満。おまけに最上級生と最下級生という歳の差を考えれば,私があまりワイルズ君と関わらなかったことも,残念ではありますが,多少は納得できるところです。

しかし,ワイルズ君からしてみれば,私の存在は決して「大勢いる先輩のうちのひとり」という程に小さいものではなかったらしいのです。ワイルズ君のお母様からお聞きしたところによれば,ひとつには「tondol君のことを尊敬していた」,あまつさえ「tondol君はひとつの目標だった」とのことで,(普段の私の言動,性格を知っている人からすれば)私はありえない程にワイルズ君に評価されていたようなのです。

そういう事情もあり,同じく私の2つ下の後輩でコンピュータ愛好会の会員であった @OpenPiyochan の紹介を経て,ワイルズ君のTwitterアカウント(@wiles4416)をフォローしたのが彼の亡くなる数ヶ月前のことだったと思います。彼とのコミュニケーション(リプライやふぁぼり・ふぁぼられを含む)は決して多くはありませんでしたが,お互いの存在を認知していたことは間違えようのない事実だと思います。そして,彼が永眠したとの連絡を受けたのがちょうど去年の8月始めでした。

それからまもなく,ワイルズ君のお母様とのやりとりが始まりました。きっかけは,彼の遺書でした。そこには「私の高校時代の友人なら恐らく見つけてくれるであろう形で,この遺書とは別の場所に意思を遺した」(意訳)との文章がありました。「高校時代の友人なら恐らく見つけてくれるであろう」という表現から察するに,恐らくそれはコンピュータの何処かにデジタルな記録として遺されているのだろうと辺りを付け,私はその「もうひとつの意思」を発掘するため,ワイルズ君の自宅に向かったのでした(驚くべきことに,彼の自宅は私の自宅から自転車で数分の距離の場所にありました)。

結果から言うと,私を含め様々な人がその痕跡を必死で探したにも関わらず,彼の遺した「もうひとつの意思」は未だ以て見つかっていません。しかし,私たちはまだ「もうひとつの意思」の発掘を諦めたわけではありません。それが誰の手によって行われるのかはわかりませんが,必ず近いうちにワイルズ君の秘密は解かれるだろうと私たちは信じています。

ともかく,そうしたやりとりを経て,私は彼や彼のお母様と関わりを持ちました。「もうひとつの意思」を探す作業の前後には,彼が生前欲しがっていた「figma 初音ミク」を私がプレゼントする,なんてこともありました。そして,この度「ワイルズの闘病記」をご献本いただき,こうして感想のようなものを記しているという訳です。私とワイルズ君のお母様の間の繋がりは,紛れもなく,ワイルズ君が遺した決して小さくないモノのうちのひとつだと言えるでしょう。

(以上,馴れ初め)

感想という程ではないですが,闘病記を読んで思ったことを記したいと思います。

この闘病記を1ページでも読めば分かると思いますが,そこに記されているのは,まさしく等身大のワイルズ君が闘病中に考えたことであり,感じたことです。その他大勢と同じく,私は「闘病記」というものに対して病状に関する報告と,生あるいは死に対する想いが淡々と書き連ねてあるモノ,なんてイメージを持っていましたが(そのイメージもある側面では正しいのですが),ワイルズ君の闘病記は,そんな固定概念を気持ちよく吹き飛ばしてくれます。彼の闘病記には漫画の台詞を改変した文章や,現代の若者が慣れ親しんでいるインターネットスラングが頻繁に登場します。それはまさしく,漫画とアニメとインターネットに囲まれて育った平成世代のリアリティであり,ワイルズ君の等身大の人格そのものです。

と,同時に感じるのは,インターネット時代の死の形はどんな方向に変化するのだろうか?ということです。ワイルズ君は闘病記の中で繰り返し「平等」なんてものは存在しないと記しています。しかし,ワイルズ君も私も例外ではないように,「いずれ死ぬ」という原理だけは,すべての人にとって不可避であり平等です。ですから恐らく,ワイルズ君の闘病記を読んで誰もが考えるのは,自分が死ぬときのことではないかと思います。たとえば,自分が死ぬとき,そばに誰が居るかということ。たとえば,自分が死ぬとき,何処に居るかということ。あるいは,自分が死んだという事実が,どのようにして知り合いに伝わっていくか,ということかもしれません。

インターネットによって得られる人との繋がりなんて,実際の世界での繋がりに比べれば微々たるものだと思う人も居るかもしれません。しかしながら,私はそうは思いません。今の時代,名前も顔も知らない人の呟きに一喜一憂する,なんて経験を誰もが少なからずしていると思いますし,インターネットがきっかけで親しい関係になるケースだって世の中には数え切れないほどあります(私とワイルズ君のケースが,ある意味ではそうだったと言えるかもしれません)。ですから,私は私の死について考えるとき,どうしても「アナログ(≒現実)」の世界だけでなく,「デジタル(≒ネット)」の世界のことを考えてしまうのです。

ワイルズ君の場合は,そのモデルケースとも言えます。たとえば,彼が生前記していたブログ「ワイルズの闘病記」は,ワイルズ君の死後もご両親の手で更新が続けられています。また,ワイルズ君が生前使っていたTwitterのアカウント(@wiles4416)をモジって,彼のお母様が @miles0801 というアカウントで日々感じたことを呟いておられます。今となっては些細なことですが,ワイルズ君が「なる四時」というTwitter連携サービスに登録していたため,彼の死後も「なるほど四時じゃねーの」という呟きが投稿された,なんてハプニングもありました。ワイルズ君の死後,彼が利用していたウェブサービスのアカウントが適切に管理されているのは,彼がそういったアカウントの取り扱いに関して賢明だったこともありますし,彼のご両親がコンピュータの扱いに関して意欲的だったことが大きく影響しているように思います。

今後,ワイルズ君と同じように,ウェブサービスを日常的に利用していた人が亡くなり,ご遺族の方が遺されたアカウントの扱いに困惑する,というケースがどんどん出てくると思うのですが,そうしたときに,ワイルズ君のご両親の取り組みは,非常に参考になるものではないかと思います。

さてもうひとつ,ワイルズ君の存在が私に何をもたらしたのか,ということを考えてみようと思います。亡くなったワイルズ君の分も,素晴らしい人間になれるようこれから私は生きていく……なんてまともなコメントはとても私にはできないので,率直に記します。

まず,ワイルズ君と私は違います。私が志を新たに胸を張って生きたところで,彼の代わりになれるはずがありません。だから相変わらず,私は平凡な私であり続けるでしょう。しかし,ワイルズ君がこんな私のことを尊敬してくれたのであれば,私は私が思う「なりたい自分」を目指そうと思うのです。そして,私が許せないような私にはなりたくないと思うのです。それが,ワイルズ君が尊敬した私(の幻影?)に対する責任の取り方だと考えています。

次に,私はワイルズ君が遺してくれたモノを,良い意味で最大限に利用しようと思うのです。それは自分を奮い起こすために彼のブログを読み返すことかもしれないし,高校時代の後輩との繋がりを大事にすることかもしれないし,ワイルズ君のお母様とのコミュニケーションを続けていくことかもしれません。そうやって私は生きていこうと思うし,ワイルズ君のことを記憶に留めたいと思います。そうすることが,たぶん彼が望んでいるモノに一番近いんじゃないか,なんて今のところは考えています。

最後になりますが。

今年の8月1日は,ワイルズ君の1周忌に当たります。私の拙い文章がどれだけ役に立てるのかは分かりませんが,この夏の最も暑い時期に,蝉の声を聴きながら,どうか皆さんに最後まで「頑張った」彼のことを思い出していただければ幸いです。

私もその頃に彼の自宅へ遊びに行きたいと思います。改めて「頑張ったね」という言葉を掛けるために。

*1:ツッコミをいただきました。今も存在しているらしいです

CDの売上が減ったという話

ustreamのDJライブなどを再生しつつ,今後はこういう形で楽しむ音楽が増えていくんじゃないかなあ,なんてことを考えた話。

対象をネット上のライブに限る必要はなくて,重要なのはおそらくリアルタイム性と双方向性ではないかと思う。ライブというのは一種の祭りなので,その場で他の大勢と一緒に体験しないと意味がない。ただ一方的に音楽を聴くだけではなく,歓声をあげたりコメントをすることによって,楽曲の作り手と直接コミュニケーションを取れることも見逃せない。

最近CDが売れなくなったという話をよく耳にする。しかし,その原因の本質は違法ダウンロードでもなくJ-POPの衰退でもなくて,ただCDを買って聴くという単調な消費行動に消費者が飽きてしまったからではないだろうか。声優やアイドルは,一般的なバンドに比べてファン全体に対するオタク層の割合が高いので,CDを購入する率も自然と高くなる。その結果,邦楽のランキングはアニソンやアイドルの楽曲で溢れ返ることになる。

ライト層は既に,CDを買うことに意義を見出していない。楽曲を聴くだけならば,着うたやyoutubeでいくらでも聴けるのだから。そしてこのネットでいくらでも聴けるという状況は,いくら規制をしたところで抑えることができるものではないし,データをコピー・転送するコストが限りなく低くなってしまった以上避けようのない事態でもある。

一方で,同人音楽の市場に目を向けると,CDを買って聴くという従来の消費スタイルが依然として広く行われており,その勢いは減るよりもむしろ増大している。これは,同人市場においてはCDを買うという行為自体がひとつの祭りであり,楽曲の作り手との距離がメジャーに比べて近いことが大きく作用している。消費者にとっては,同人CDを買うという行動自体がひとつの非日常的体験であり,楽曲の作り手とのコミュニケーションの手段となっている。

ライブに行く程のファンであればCDも買うだろうから,ひとえにCDを売る意味がなくなったと言うことはできないけど,ドラマの主題歌がミリオンヒットするような時代が終わったのは間違いない。商売という面から考えるならば,ライト層からお金を巻き上げることが難しくなっているので,今後はオタク層からより多くのお金を搾取する形に変わっていくはずだ。一方で,同人音楽みたいな作り手と聴き手の距離が近い業界は,今後もそのリアルタイム性と双方向性を武器に勢いを拡大していくのではないか。

例によってmixi日記からの転載ですが

個人的には,物理的なメディアとして所有したいと思えるほどのCDでもなければ,iTMSで圧縮音源をダウンロードするだけで十分だと考えている。自分の精度の低い耳では圧縮音源とCD音源との違いを聴きとることなんてできないし,下手に中間業者を通してCDを買うよりはiTMSで買った方がアーティストにちゃんとマージンが流れそうだというのもひとつの理由だ。

音楽業界がいかに危ないか俺が優しく教えるスレ【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】

それでも大手はまだ体力があるから
本当にやばいのは作家さんとか音楽を作ってる人達
その次にCDショップ。
大手レーベルは緩やかに死んでいく。

大手レーベルが生きようが死のうが,評価されるものはきちんと評価される市場であって欲しい。

アップローダのDLKeyを考える

アップローダが./index.cgiにあるとして,アップロードファイルを保存しておくディレクトリを./src/とする。

DLKeyの付いていないファイルならばそのまま./src/upld1.zipみたいな感じで適当な接尾辞+通し番号というファイル名で保存しておけばいい。しかし,DLKey付きのファイルを同じような名前で保存してしまうとDLKeyが分からない人間にも簡単にファイルのあるパスが分かってしまうので,普通はファイル名に何らかの工夫をする。たとえば,DLKeyをハッシュ化した文字列をファイル名の一部にするとか。その場合,アップロードしたファイルのパスは./src/upld1_e4907a1a4dcf0a77542879d16a4da2ef5f503c2b.zipみたいな感じになる。

問題は,正しいDLKeyがPOSTされた場合に,いかにユーザーにファイルをダウンロードさせるか。シンプルに実装するなら,前述のファイルへのリンクを含むHTMLを送出してやればいいんだけど,ただのリンクだと当然そのファイルの実体のURLはユーザーにはバレてしまう。もしそのユーザーに悪意があればそのURLをどこかの掲示板に張り付けることも可能なわけで,そうするとDLKeyの分からない人間にもファイルのダウンロードが可能になってしまう。

で,これってスクリプト脆弱性なんじゃないかなあとなんとなく思ったんだけど,冷静に考えると,これはスクリプト脆弱性にはなり得なかった。なぜなら,どんなにスクリプトで工夫したところで,DLKey自体を晒されてしまえば誰でもファイルをダウンロードできるようになってしまうからだ。

仮に正しいDLKeyを知っている人間に悪意があれば:ファイルの実体URLが分からなくても,DLKeyを晒すことによってファイルの機密性を無意味にすることができる。→ゆえに,ファイルの実体URLを隠す隠さないは悪意あるユーザーの行動に影響しない。

仮に正しいDLKeyを知っている人間に悪意がなければ:ファイルの実体URLが分かっても,それをどこかに晒そうとは思わない。→ゆえに,ファイルの実体URLを隠す隠さないは悪意のないユーザーの行動に影響しない。

したがって,スクリプト側ではDLKeyを知っている人間にならファイルの実体URLを教えてしまっても特に問題はない。秘密鍵という仕組み自体に言えることだけど,アップロードを通じてファイルを安全にやりとりしたいなら,DLKeyは信頼のおけない他者には教えてはならない。信頼できない他者にDLKeyを教えた時点で,DLKeyの保証する機密性は意味を成さなくなるのだから。

そういうわけで,OreUploaderのダウンロードページでは普通にファイルの実体URLへのリンクを表示することにした。

新ボカロが出ましたが

VOCALOID』と『ボカロ』

クリプトンが「初音ミク」を発売したその瞬間に,VOCALOIDという製品郡は単なるDTMソフトウェアとしてではなく,『ボカロ』というキャラクター郡として消費されることが決定付けられたのだと思う。その発端が「KAITO」や「MEIKO」ではなくミクだったのは,(もはや言うまでもないことだけど)VOCALOIDというソフトウェアと萌えイラストによるビジュアルが結び付けられた始めての製品初音ミクだったからだ。

初音ミクの成功によって,DTMソフトウェアとキャラクターを結び付けるというコンセプトが商業的に正しかったことが明らかになった。以後,クリプトンは第2第3の初音ミクを生み出すべく,キャラクター性を重視したVOCALOIDシリーズの展開を続け,インターネット社から発売されたVOCALOIDシリーズにおいても同様の方針が受け継がれることとなった。

”第三勢力”が目指すもの

翻って,今回”第三勢力”ことAH-Softwareから発売されることが決定した「SF-A2開発コードmiki」を始めとする3つの製品について考えてみたい。

mikiが本家ボカロから『イマドキ』のキャラクター性を受け継いだ一方で,「ボカロ小学生」と「ボカロ先生」については,具体的なキャラクター性よりも『小学生』や『先生』という一般的な属性に焦点が置かれている。申し訳程度にボカロの文法に則ったフルネーム*1も与えられているものの,キャラクター性よりも属性が強調されているという事実に変わりはない。

これは本家ボカロからの明らかな方針展開であり,AH-Software『新しいVOCALOIDをこれまでのボカロとは異なる方向で売りたい』という意思の表れではないだろうか。

個人的な推測を述べるならば,AH-Softwareはボカロ小学生とボカロ先生の発売を通して,『初音ミクに歌わせたいから初音ミクに合った曲を作る』というようなキャラクタードリブンな制作スタイルに代わり,『子供の声を使いたいからボカロ小学生に歌わせる』というような楽曲ドリブンな制作スタイルを提案しているように思われるのだ。

制作スタイルの変化というよりは,回帰といったほうが正しいかもしれない。それは,KAITOMEIKOの頃にクリプトン社が期待していたVOCALOIDシリーズの使い方そのものであり,本来VOCALOIDシリーズが担うべきだった役割であるとも言える。

もちろん,すべてのボカロ曲がキャラクタードリブンな制作スタイルのもとで生まれたというわけではないし,中にはVOCALOIDを『単なる楽器』として用いた楽曲も少なからず存在する。しかし,ボカロ界隈を俯瞰したときに,その潮流の中心がボカロのキャラクター性を軸とした楽曲郡にある*2ことは,もはや疑いのない事実ではないだろうか。

ボカロ小学生とボカロ先生は,言わばキャラクター指向に傾倒していった初音ミク以降のボカロ文化に対する売り手側からのカウンターである。果たして,ボカロ小学生とボカロ先生はボカロ文化のバランサーになり得るだろうか?

とは言ったものの

ユーザーによるキャラクター価値の積極的な創造が行われない限り,ボカロ小学生とボカロ先生は売れないんじゃないかと思いました。

*1:「歌愛(かあい)ユキ」と「氷山(ひやま)キヨテル」

*2:知名度で「みくみくにしてあげる」や「メルト」を超える曲が未だにないし

初音ミクとオブジェクト指向

キャラクター性の継承という視点

もともと,初音ミクというキャラクターに与えられた情報はあまり多くない。それはたとえば,16歳という年齢だったり,緑髪ツインテールというビジュアルだったりする。しかし,普通のアニメのキャラクターと違い,その設定には多くの”ゆとり”がある。クリプトンが公開した初音ミクの公式設定は,極めて抽象的である。したがって,初音ミクを楽曲の登場人物とするためには,各製作者が自分なりの初音ミクの設定を考え,不足部分を補完しなければならない。

まるでオブジェクト指向で抽象クラスを継承して具象クラスを定義するように,楽曲の製作者は初音ミクに足りていない情報を適宜実装し,初音ミクという共通の名前を持った新たなキャラクターを作り出すのである。

こうして生まれた新たな初音ミクは,楽曲と併せてひとつの世界観を構成する。それぞれの楽曲の中に居るのは性格の全く異なるキャラクターであるにも関わらず,視聴者からは初音ミクという同じビジュアルを持ったキャラクターとして認識される。楽曲によって初音ミクのキャラクターが全く異なるということを,顕著に示しているのが次の2例である。

  • 壊れかけの歌唱ロボットというキャラクターと『初音ミクの消失
  • 同級生に恋する女子高生というキャラクターと『メルト』

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内容を考慮すれば全く違うキャラクターの楽曲として扱われそうなこの2曲が,同じ初音ミクというキャラクターを表すものとして扱われているのは興味深い。この”キャラクター解釈の多様性”は,当然のようにキャラクターが消費されていく昨今のコンテンツ市場において,大きなアドバンテージとなり得るのではないか。

二次創作の余地を残すということ

上記の文章は以前にmixiで公開したものなのだが,その際に『東方も初音ミクと同じような売れ方をしている』という意見を得た。つまり,初音ミクも東方も設定の少ないキャラクター性を継承しており,各消費者が足りない部分を補完した上で,他の消費者と新たなキャラクターのイメージを共有できるという特徴がある,というのである。

事実,東方とVOCALOIDと言えばニコニコ動画でも最も人気の高いジャンルであり,その流行は単なる一過性のものとは思えないほどに長続きしている。盛んにPVが制作され,今なおファンの多い『IDOLM@STER』シリーズをこれらの作品群に含めてもいいかもしれない。上から降ってくるコンテンツをただ消費するだけでは,このようなブームが生まれることはなかったはずである。

これらの作品群は従来の『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』などに代表される”消費されていくコンテンツ”とは一線を画していると言ってもよく,その原因にはここで述べた”二次創作の余地のあるキャラクター性”が大きく関係していることは間違いない。「一次創作者が語り過ぎないこと」「一次創作者が二次創作を許可あるいは黙認すること」そして「二次創作を気軽に公開・閲覧できる場所があること」。この3つが同時に成り立ったとき初めて,このような作品が生まれる土壌が完成するのではないだろうか。

まとめ

意識的であったにせよ,無意識的であったにせよ,二次創作の余地を残したこれらの作品群は,ニコニコ動画やpixivなどに代表されるコンテンツ共有型サービスの興隆に乗じて,”自らコンテンツを創作し,それを他の消費者と共有する”という新たな楽しみ方を消費者に認知させた。一次創作者と二次創作者とそれを享受する消費者たちが共存する緩やかなコンテンツ市場の中では,もはや消費者は消費者ではなくなり,一次創作者と二次創作者の間にあった溝は限りなく小さくなりつつある。